JBLのコンパクトスピーカー『Control LA』。
このスピーカーとは、もう30年近いつきあいになる。
世界的大ヒットした『Contorol 1』の兄弟分。“Control”シリーズはラインナップが豊富で、末弟でベストセラー機の『Control 1』、ツイーターがチタン素材の『Control 1 Plus』(ウーハーもホワイトコーンの別物で、L/Rのツイーターの位置がちゃんと対称になっている)、ニアフィールド・モニターにも使用された『Control 3 Pro』、少し大きめのブックシェルフスピーカー『Control 5』、上位版でウーハーがアップグレードされている『Control 5 Plus』(ツイーターの位置も違う)、さらに大型化しツイーターにホーンガイドを使用した『Control 8』、3Wayシステムを採用した『Control 10』、PAユースに振られた2Wayシステムの『Control 12』などなど・・・。
『Control LA』は『Control 1』の兄貴分。再生周波数帯域や、許容入力も違う。見た目もパーツも違う。
まず外観が違う。エンクロージャー四隅にプロテクションラバーが貼られていて、机などに直置きした際のクッション製が高い。
ツイーターが違う。『Control 1』は樹脂製のドームツイーターだが、『Control LA』はチタン。『Control 1 Plus』と同一のようだ。
ウーハーも口径は同じだが全くの別物で、分解すると分かるが大きなマグネットが付いており重量も有る。ただ防磁設計されていないのでブラウン管のテレビには大きく干渉した。そして重要なポイントが、ウーハーのエッジがウレタンでは無くラバー樹脂で有ることだ。これはウーハーの寿命に大きく関わる。
『Control 1』のツイーターとウーハーは今でも新品を購入できるようだが、『Control LA』のツイーター、ウーハーはネットの海をさまよっても新品には出会えていない・・・。
因みにネットワークは『Control 1』と同一。
『Control LA』を購入したのは学生の時だった。その当時欲しかったのは実は『Control 3 Pro』で、アルバイトして稼いだわずかな資金を握りしめて大阪の電気街、日本橋へと向かった。今はどこで買っても値段にたいした差は無いが、当時は電化製品を買うならやはり日本橋で、ある程度の価格調査も事前に済ませてあった。
当時、南海難波駅の南にまだニノミヤ無線が健在の時代で、『Control 3 Pro』を買うべくドキドキでエスカレータに乗り込んだ。
売り場に到着し目に飛び込んできた張り紙は、「JBL Control 1シリーズ価格改定のお知らせ」。“Control”シリーズは軒並み1万円近く値段が上がっており、お目当ての『Control 3 Pro』も4万円台で購入できると思っていた物がほぼ定価に近い5万円台になっていた。
予算オーバーで有る。
因みにその1年後に定価が大きく下がっており、1万円近く安くなったらしい。
また何ヶ月かアルバイトして資金を貯めてから出直そう・・・。そう思いながら価格改定の張り紙を見ていたら、シリーズのほとんどが値上げされている中で『Control LA』だけが販売価格が据え置かれていた。
なぜ?
因みに定価では『Control 3 Pro』より若干高い価格に設定されている商品で、値段を考えれば『Control 3 Pro』より兄貴分で有る。
・・・買える!これなら!予算内で!しかも『Control 3 Pro』よりちょっと上位機種が!・・・でも『Control LA』なんて聞いたこと無いんだけど。
まあ、ツイーターの仕様なんかをみれば『Control 3 Pro』のほうが明らかに兄貴分なのだが・・・。
俺氏(貧乏学生)「・・・あの、どうしてこれ(Control LA)だけ価格据え置きなんですか?」
店員さん(NINOMIYA is very kindry)「・・・さあ。なぜなんでしょうねえ・・・(マイナー機種で売れ筋じゃ無いからなんて口が裂けても言えない・・・)」
俺氏(汚れを知らない子供)「じゃあ、これ“お買い得”って事ですよね?」
店員さん(It's nice service)「お買い得だと思います(マイナー機種で売れ筋じゃ無いけど)!」
俺氏(鼻息が荒い)「・・・これ、下さい!」
結果的にはこの買い物は大正解だった。
持ち帰って早速音出しをしてみた。
JBLのダークなイメージと異なるからっと乾いた明るい音。
『Control 1』よりはるかに伸びる高音域、情報量の多い中域、低域もスピード感が格段に上だ。
この音が、自室で鳴るなんて・・・!
モニターライクな味付けで、ちょっとしたサウンドチェックにも使えたし、許容入力も大きいので芝居の舞台では仕込みスピーカーに持って行ったりした。
万能であった。
社会人になってからの1995年1月17日、自宅で就寝中に阪神淡路大震災に襲われた。震度7近い直下型地震。自室でただ一つの高級品『Control LA』も150㎝ほどの高さから落下。お部屋の芳香剤が割れ、エンクロージャー背面辺りの樹脂表面が溶けてしまった。
因みに当時使用していたプリメインアンプ(ちょっとお高め)はバイト先店長からのもらい物で、カセットデッキに至っては廃品回収のガラクタから持ってきてしまったモノだ。・・・あ、違法だね。すみません。時効、で良いですか?
ともかく、スピーカー以外お金は掛かっていなかった。
芳香剤で背面が溶けてしまったためスピーカーケーブルのつけ外しに支障が出るようになってしまったが、音自体に変化は無かったので震災後もずっと使い続けていた。
芝居で持ち込むときの愛称は「おじいちゃんJBL」だった。
長く使っているとウーハーのラバーエッジが硬化して音質が大きく悪化する。そのたびにゴム軟化剤を塗布してエッジ硬化をやりすごす。「おじいちゃん」は再び活き活きと音楽を奏でるようになる。
これがウレタン製のエッジだと10年もしないうちに分解を始め、エッジ自体が無くなってしまっていただろう。
4年ほど前にネットワークの電解コンデンサを交換した。色々試したあげく、結局ニチコンの電解コンデンサ落ち着いた。
これでネットワークはもう10年くらい大丈夫かな?
しかし、エッジだ。
エッジのラバーがすぐに硬化してしまう。
そのたびに軟化剤と塗布してやり過ごしてきたが、ぼちぼちラバー自体が寿命なのかも知れない。
軟化剤を塗布すると直後にラバーはふにゃふにゃになり、腰が抜けてよれた状態で乾き、エッジ自体がドーム型を維持できなくなっている。
この状態が続くと、幾ら軽量のコーンとはいえダンパーに偏った負担を与え続けていることになるし、それが進行を続けるとボイスコイルの接触、さらにはボイスコイルが切れてしまう恐れが出てくる。
先に書いたが、これの新品はなかなか出回っていない。新しいユニットへの交換は絶望的な感が有る。
ハーマン・インターナショナルのホームページでは修理可能商品一覧にこのスピーカーは無い。問い合わせれば修理可能で有るような気もするが、新品で買ったときの値段くらい費用が掛かるだろう。修理業者に依頼してもそのくらい掛かるだろうし、その金額を掛けるくらいなら新しいスピーカーを購入することを考えた方が正解だろう。
ならばどうするか?自分でエッジの交換か?互換エッジは多数出回っているので安価で購入できる。
ネットの世界ではこの程度の小口径ユニットのエッジ交換は簡単にできるよ、と云う扱いで有る。交換作業をしている動画があちこちにアップされているし、作業してみたレビューをブログアップしている人も多い。
・・・ただ、どうも自分には自信が無い。作業を成功させる自信が持てない。作業でコーンを傷めてしまったら?ボイスコイルを切ってしまったら?
・・・もし運良く作業が成功して音が出るようになったとして、それは元の音だろうか?オリジナルの音質を復活させることが出来たのか?ちゃんとなっているようでも、それは正しい音なのか、単に鳴ったと云うだけで全てをぶち壊しただけの結果になってしまうのでは無いだろうか?
確かに、コンデンサを交換した時点で“それ”はオリジナルでは無くなっている。ただ、決して原音から音質が悪くなっているわけでは無いし、抜けてしまった電解コンデンサは交換する以外には無いのである。それとこれとはまた違った話しなのだ。
ただ、このままの状態だと何時かは手を打たねばならない。
オリジナルのことなど考えず、ユニットを別物に交換するか?ネットで見かけるのはエレクトロボイスのユニットに交換するというものだが、それは「彼」が「別物」に成ると云うことだ。
現在でも入手可能な『Control 1』のユニットにするという手もある。これも厳密に云うと「別物」だし、高音域も低音域も再生周波数帯域が下がる。「格下」になる。それも何だか複雑な心境だ・・・。
いつかは。
いつかは。
いつかは、やはり自分の手でエッジを交換してやらねばならないのだろう。自分の手でメスを入れてやらねばならないのだ。
これがボロボロに分解してしまったウレタンエッジなら何のためらいも無く作業を始めただろう。ボロボロに朽ちた時点で、それはもう元の「彼」ではないのだ。新しい「彼」を作り出すために、勇んでメスを入れているに違いないのだ・・・。
ともかく、このまま放置したままではユニットの寿命を早めてしまう。現在のところ意外にも普通に動作している。METALLICAも、上原ひろみも、Schroeder-Headzも、ご機嫌な感じで鳴らしてくれている。
どうしようか・・・。ユニットを外して天地を逆にしてみるか?そうすれば自重で下がりそうなコーンを少し長く保つことが出来るか・・・。
でも、結局のところ“いつかは。”なんだ。
いつかは手を入れてやらなければいけない。元の「彼」では無くなるかも知れないけど。失敗してガラクタと化し、燃えないゴミの山に積まれてしまうかも知れないけれど。