Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

興味はないが

 いらっしゃいませ。

 蛇口はここですが、水の出しっぱなしには注意して下さいよ!




 過日彼は神戸市中央区にある場外馬券場『WINS』の裏手の通りを歩いていた。彼は競馬には全く興味がない。
よって、場外馬券場には何の興味もないし、歩いていたのも発売の無い平日の昼間であった。



全く興味がないのに競馬のフリか?




「いや、たまたま通っただけで・・・」




では何かね?




「『WINS』の通用口のシャッターの画がちょっと興味深かったので、写真を撮ったんだ」




ほう。




「それがこれ」



ほう。




「明治時代初期に神戸で行われていた競馬の様子をを描いた錦絵なのだそうだ」




ほほう・・・。




「説明文をちょっと寄りで撮ってみた」




『「摂州神戸西洋人馬駆之図」 長谷川貞信 筆 富士正文 版  明治初期



神戸は横浜とならび競馬の歴史が古く、初めて競馬が開催されたのは、1868年(明治元年)のクリスマスとされています。
このとき、外国人によって居留地内で行われていました。
翌年、生田神社の東に1周約1100メートルの馬場をそなえた競馬場が造られ、外国人の間では馬券も発売されました。ここでは明治10年頃まで競馬が続けられました。現在の東門街・三ノ宮の繁華街のあたりです。
この錦絵は当時のレースや観衆の様子を描いた貴重な資料です。』



「はあ、はあ、・・書き写すのに疲れた・・・」




ご苦労さん。




「ちょっと寄りで」







というわけで今回はちょっとノスタルジックな話しなワケだな。





「まあ、そんな感じです・・・。

 上記の錦絵の解説にもあるけど、日本の競馬の発祥は横浜で、確認可能な最古の居留地競馬は、1860年(万延元年)に現在の横浜市中区元町において、外国人によって行われた競馬なんだそうだ。」



どこからかコピペってきたな・・・。まあいいが。その記録が正しければ神戸より八年も早いわけだな・・・。





「一説には神戸が発祥なんて説もあるけど、どうやら横浜の方が早いようだね」




しかし、幕末・明治の動乱期でも外国人達は競馬を楽しんでいたわけだな・・・。





「10年あまりでこの神戸の競馬は無くなってしまったようだけど、実は跡地の名残を確認できるらしい」




ほう。




「上記の錦絵の解説にもあるけど、競馬場は神戸市中央区の生田神社の東側にコースがあった。現在、生田神社のすぐ東は『東門街』という名の細い飲み屋街なんだけど、地図で見ると他の南北の通りと違い、ゆるやかにわん曲しているのが分かる。これは、その当時の競馬場のコースの一部がそのまま街の区画整理の時に使われた名残といわれている」




そういえば、ゆるやかに曲がって、坂路になってて・・・。




「200年近く前の話だからね。さすがに現在は石畳とアスファルトだけどね」





歩くとちょっと雰囲気があるかもね・・・。





「まあ、話の種には良いかもね・・・。すぐ西にある生田神社はあの芸人と女優が神前結婚式を挙げたことで有名になったけど、離婚してある意味さらに有名になったね」





大人なんだからそういうことは言わないように。





「まあ、これも話の種に・・・。あ、因みに北にある六甲山は日本で最初にゴルフ場が造られた土地です」





まあ、それも話の種に・・・。