Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

パスタと感動の基準

  
 いらっしゃいませ。


 ・・・・で、どうしたいんですか?飲みたいんですか?飲みたくないんですか?




 彼は過日、神戸市須磨区山陽電鉄月見山駅至近にあるイタリア料理の店『TESORO』(テゾーロ)で食事をとったらしい。2010/05/26の夜のことだ。この日、彼は映画『ソラニン』を鑑賞後に一杯引っかけたくなり帰宅前に立ち寄ったという。




「お店のブログが有りますのでリンクを貼っておきます」


http://blog.livedoor.jp/tesoro_vino/



今回は食事の話かね。




「食事よりも、シェフとの会話について書こうかなと」



ほう。




「この店の良いところは、女性のオーナーシェフがなんだかウエルカムな感じで、ああ、こんな自分でもパスタでワインとか飲んでも良いんだと思える安心感がある」




ほほう。




「もちろんイタリア料理店なので、居酒屋で飲むような料金ではないが、それでもそのウエルカムな雰囲気がお店の敷居を低くしているような感じで入りやすいのだ」




なるほど。




「映画の帰りに寄ったって事を話したんだ」




   シェフ  「・・へえ、映画観に行ってたんですか」



   彼   「・・・うん・・。『ソラニン』ていう宮粼あおい主演の・・・」



   シェフ   「へえ・・・(脳内の記憶データを探っているようだが、全くヒットせずの状態)?」



   彼   「まあ、邦画だし、大作でもないし・・・。あ、でも宮粼あおいが劇中で歌うんですよ」




   シェフ   「・・・ああ!なんかありましたねえ・・!宮粼あおいは女性の目から見てもカワイイですよ!なんか変ないやらしさが無くて」




   彼   「・・そうですよね(ちょっとあおいちゃんについて語りたくなったが、キモいヲタク野郎と思われれてしまうのも嫌なので自粛)。」




   シェフ   「最近何か家でDVDとか観たりしてますか?」





   彼   「・・あ、いや、最近は・・・(カバンの中に購入したばかりの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破』のBDが入っていることは口が裂けても言えない。その瞬間にキモ・ヲタのカテゴリーの人に分類されてしまうのは想像に難くない..)。」





   シェフ   「あ、わたし今『アバター』のDVDを借りてるんですよ」




   彼   「そうなんですか。」




  シェフ   「仕事の合間にちょっとだけ、30分くらいしかまだ観てないんですけど、“泣けるよ”って言われて、貸してもらったんですよ」




   彼   「え?」




   シェフ   「もう、すごい泣けるらしいんですよ!久しぶりに映画観て泣こう、って思って借りたんですよ!」



   彼   「・・・へえ」







 この『泣ける』という時点で彼は『アバター』に対する興味を失ってしまったらしい。


「『泣ける話だろう?切ないだろう?』って、さあ、『泣けるから泣きなよ、観なよ』、って映画はどうもイマイチ観たいとは思わないんだ・・・」



ほう。



「それに、『タイタニック』と同じ監督さんなんだろ?その時点で『・・・?』な感じで・・・」




ほほう。




「そもそも『アバター』って泣ける映画なの?」



まあ、観た方に感想でも訊いてみたまえ・・・。






   シェフ   「あ!良かったら貸しましょうか?泣けますよ、きっと!」




   彼   「・・・3Dがウリの映画よりも、映画はストーリーで観たいんですよ・・・」




  シェフ   「だから、ストーリーも良いんですよ、きっと。だって泣けるんですから」




   彼   「大泣きできたらぜひ教えて下さい。そしたら考えます・・・」







 かたくなに断る様が、完全に挙動不審者であるな。



「正直なところ、別に『アバター』であろうが何であろうが、涙もろいので何でも泣いてしまうんだけどね・・・」



涙腺が緩いタイプだな・・・。



「『アポロ13』とか、劇場で星飛雄馬並みの泣き方で泣いてたし。『バックドラフト』とかでも、ぐずぐずに泣いてしまうし・・・」



なるほど。




「ここで、ポイントになるのが、『面白い』とか『泣ける』とかっていう感性が、人によってばらばらだっていうことだ・・」




ふむ。




「『泣ける』っていう話のものが泣けなかったり、『面白い』という評判のものが観てみたら全く面白く無かったり・・・」




普通に良くあるな、そういう話・・・。




「・・・そもそも『泣け!』って言われている作品て、嫌だと思わないか?作り手の見え透いた意図が押しつけがましくて」




ふむ。




「『泣ける』という場面も、『笑える』という場面も、一種“お約束”であって。上手い形でその条件をさりげなく整えてやると、人は『泣き』、『笑う』。その行為がどれだけ押しつけがましくなくさりげなく物語の中に取り入れられているかってのがポイント」




ふむふむ。




「『泣かそう』って押しまくるのは、その泣く要素だけが妙にクローズアップしているような感じで、ストーリーに溶け込んでいないような気がする。浮いているというか、そこだけ歌舞伎の見栄を見ているような感じというか・・・」



まあ、多少のポイントのずれとか、感情の振れ幅の大小があるかとは思うが、本当に感動すれば自然と泣けるよな、きっと・・・。




「・・・人にもよるんだろうけどさ・・」




押しつけがましくない感動作品か・・・。それはそれで難しいな・・・。




「結局は『おかしい』も『悲しい』も『怖い』も、基本的に作り手の押しつけであることが殆どだしね・・・」




その日彼はそんなことを一人考えながら、『サーモンとブロッコリーのトマトクリームパスタ』を黙々と口に運んでいたそうだ・・・。


全くとりとめのない文章で今回は終わる。