Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

『とり鉄人』プロデュース 『ことりてつじん』 『ジロー君の冒険 [改訂版]』 雑観

 今回の芝居は二人芝居ということで、当たり前であるが出演者は役者二人、切っても切っても二人だけ。全編まるで金太郎飴状態である。役者二人が二時間近く出ずっぱりで、膨大な量の台詞をこなし、二人で何役も演じ分ける。


 そういえば、例えば北海道の売れっ子劇団『TEAM-NACS』は、出演者はチームの五人だけで、ありとあらゆる役をこなして、二時間の公演をノンストップで行う。そしてかなりおもしろい。別に大人数で行う芝居がどうであるとか、少人数だからどうであるとかという話ではなく、いろんなスタイルがあって良いということである。



 少人数の芝居で(例えば一人芝居で)、シチュエーションや背景を表現するのに効果音を多用する場合があるが、今回の芝居では効果音に頼ることなく芝居がほぼ完結していた。これも効果音が少ないから良いとか多いから悪いとかって分けではなくて、方法論の問題であるわけで。ただ、多用しすぎると、説明を全て効果音で行うラジオドラマのようになってしまいかねないので、演劇という舞台表現と違う物になりかねないという恐れを秘めているのではないかと思った。



 今回の大阪公演では、舞台の上に吊ったガンマイクがかなり効果的に作用してくれた。会場の天井が低く、マイクの効果範囲に役者が比較的近いことがその要因であろう。しかし、指向性が鋭角なガンマイクは、その指向性から役者が外れると、効果ががっくりと落ちる。次回同じようなシチュエーションがあれば、カーディオイドのマイクや無指向性のマイクなども試してみる価値があるのかなとも思った。ただし、それこそかなり天井が低くなければ効果は出ない物と思われる・・・。



 しかし、こんな書き方をするとアレな感じだが、大阪公演はいろいろと仕込みづらい小屋であった。『狭い空間』=『小さな芝居』=『仕込む物がない』という図式であれば、全く別な状況であったと思うが、今回『小さな』状況に当てはまるのは出演者が二人きりということのみで、やっていることは劇団『とり鉄人』の本公演とほぼ同じ規模の物である。かなりな手間だ。現場にある機材を最大限に利用しつつ、持ち込み機材をさらに追加して公演を行うということになるのだが、本来『小さく』あるはずの芝居の構成が大きいので、小屋が想定しない量の機材を仕込むことになる。これは音響も照明も同じであった。もう少し現場に機材やケーブルなどがあれば状況は変わったと思うのだが・・・。



 こういったイベントや芝居を引き受けた場合、出来るだけチームで動く、ようにしている。一人で出来ることの限界を、チームは軽々と超えていってくれる。もし一人で全てを引き受けて、急病になったらどうしよう、とかまで考える。本番の段取りを覚えている物が二人なら、三人なら、公演は乗り切ることが出来る。

 別にチームの人間が全て強者である必要があるわけではなく、スキルが低ければ低いなりの仕事があり、ちゃんと回せば手が余るなんてことはないはずだし、仕事が出来ないから現場で役に立たないなんてことはないと思う。小さな仕事を一つ引き受けてくれれば、その小さな仕事に手を煩わされることもなくなる。仕込みの間も、本番も、その小さな仕事を行う手に助けられるのだ。その小さな手が、一人で出来ることの限界を軽々と超えさせてくれるのだ。今回も時間的制約という限界を超えさせてくれたのはチームのメンバー達がいたからだ。ありがたいことだ・・・。


 メンバー達に感謝しながら今回は終わる。