Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

小さな黄色い電気機関車

 芥川龍之介の短編小説で、『トロツコ』という物をご存じだろうか。簡単にあらすじを書くと、


 小田原・熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まった。8歳の良平が、その工事現場で使う土砂運搬用のトロツコに非常に興味をもっていた。ある日、トロッコを運搬している土工と一緒に、トロッコを押すことになった。良平は最初は有頂天だが、だんだん帰りが不安になった。途中で土工に、遅くなったから帰るようにいわれて、良平は一人暗い坂道を「命さえ助かれば」と思いながら駆け抜けた。家に着いたとたん、良平は泣き出してしまう。


・・・・というようなことを大人になって東京に出てきてから思い出す、というそれだけの小説・・・。




 さて、ここからは子供の頃の思い出話である。




 まだ小さかった頃、近隣に旧・国鉄の大きな整備工場があった。国内の電車の整備工場でもなかなかに権威のあった工場らしく、SLが復刻走行する前の整備などは必ずこの工場に運ばれてきて、検査・点検をしてから出発していった。当時はすでにSLの整備が出来る工場が日本に数カ所しか無く、その工場もそのうちの一つであった。多くの人がこの工場で働いていた。

 そのため、姿は見ることは出来ないが、時々SLの汽笛がなりひびいたり、珍しい列車が整備に入ってるという話を聞いたりして、子供心にもわくわくした。工場の南には国鉄在来線の駅があり、その駅と工場の間には、広大な貨物列車のターミナル駅が横たわっていた。



 SLや、珍しい列車を見に行きたかったので、フェンスの隙間から構内にこっそり忍び込んで時々列車を眺めていた。残念ながら広大な貨物駅のためにメインの工場部分は全く見えず、ただぼんやりと貨物コンテナを引っ張る電気機関車を眺めるだけということが多かったが。
 ただ、列車を見ることが出来ると言うだけで、貨物列車でも全然満足していた。そのフェンスの隙間をくぐり抜けられる場所はまさに秘密の場所であった。




 ある日、いつものようにフェンスの隙間をくぐり抜け、何両も続く貨物列車を眺めていたら、一番手前の線路をゆっくりと黄色い小さな機関車がゆっくりゆっくりと通過しようとしていた。

 通過すると思っていた機関車は減速して目の前に停まった。運転席から黄色いドカヘルを被った、日に焼けた無精ひげのしわの多い顔のおじさんが顔を出した。

 『怒られる!逃げなきゃ!』と思ったが、その予想に反しておじさんはにっこり笑って言った。『ちょっと乗ってみるか?』一も二もなく飛びついた。工事車両っぽいが、そんなことはかまわない。あこがれの電車の運転台である。おじさんに手を引っ張られて運転台に上がった。


 10メートルくらい乗せてもらえれば十分かと思っていたが、意外におじさんは何も言わずにしばらく乗せてくれていた。おじさんは国鉄マンというより、どこかの工事現場の作業員といった方がぴったりな風体のおじさんであったように思う。
 広大な貨物駅の中をゆっくりゆっくり進む作業列車。途中で止まって何か荷物を積み下ろしたり、何か作業っぽいことをしていたが、運転台からの景色に釘付けであったのだろう、ほとんど記憶にはない。


 広い敷地の中をどこまでもどこまでも、あくまでゆっくりとであったが進んでいく。いくつも切り替えポイントを越えて線路を渡りコースを変えていく。やがて、急に不安に襲われ始めた。『この機関車はどこまで行くのだろう?』『帰れるのか?』『優しいこのおじさんとは違って、別の大人に見つかって怒られるんじゃないか?』不安は急速に心の中で大きくなっていった。
 やがて、また停車したので、『ここで降ります。ありがとうございました。』と馬鹿丁寧な敬語でおじさんに言った。おじさんはちょっとびっくりしたような顔をしたが、『そうか』とだけ言った。



 運転台から降りると、すぐに機関車は今までより速い速度で走り去っていった。走り去る機関車を見もしないで、早足で記憶を頼りに元来た道を戻りだした。早足で、早足で。

 ここはどこだろう?どのくらいの距離を走ったろう?いくつ分岐点を越えた?どんなコースで?誰かに見つかって怒られないか?不安はどんどん大きくなっていく。なんだか泣きたくなってきた。でも泣かなかった。こらえた。こらえた自分はちょっと大人だと思った。男の子だと思った。


 ほとんど闇雲に歩き回って、やっと元来たフェンスの隙間を発見し、外に飛び出した。そこから家路へは走って帰った。




 大きくなってから時々このことを思い出すのだけれど、どこまでもどこまでも走って行っていたと感じてはいたけれど、よくよく考えてみれば貨物駅の敷地の外にすら出てはいないのだ。狭い空間をゆっくり走っていただけなのだ。
 また、降りると言って驚いたおじさんの顔から思うと、たぶんあの機関車はコース的に元の場所にもう一度行くのでその時に降ろす、もしくはわざわざ元の場所まで送ってくれるつもりであったのではないだろうかと・・・。




 広い敷地を擁した工場は国鉄の分割民営化直後に縮小、やがて工場自体もなくなった。敷地の一部は民間に売却され、小学校やマンションが建っている。貨物駅は未だに健在だが、その規模は以前に比べるとかなり小さい。昔は郵便物なども貨物駅で取り扱っていたのだが、現在はそういった制度もなくなっているし。ただ、昨今のエコブームのお陰か、貨物駅からは、頻繁にコンテナを乗せたトラックが出入りしているようだ。少しは貨物列車での輸送という物の需要が戻ってきたのだろう。もちろん往時の賑わいからは比べることも出来ないような寂れ具合なのだが。



 数日前に、その工場の従業員が暮らしていた団地の横を通った。住む者の無くなった団地は長く閉鎖されたままで、野ざらしにされたままであったが、どうやら取り壊しが始まったらしい。JR関係者の社宅になるか、民間のマンションが建つのかは不明だが、とにかく、この町は『日本でも指折りの国鉄の整備工場がある町』の名残をすべて消し去ってしまった。ずいぶんと長くかかったが。



 解体現場のブルーシートの横を通り過ぎながら、ふと子供の頃の体験を思い出した。それだけの話。