いらっしゃいませ。
・・・え?
いや、創作ダンス的接客を・・・。
・・・・わかってます。もうやりません。
過日彼は、ジーン・ウェブスター作の古典、『あしながおじさん』を文庫本で読了したらしい。今回はそれについての感想とかを書いてみたいそうだ。
「良いです!キラキラです!お勧めです!というか、ブログとか書いてる人はみんな読まないと!」
初っぱなから飛ばしてきたなあ。
今回、古典文学というか、児童文学というか、とにかく普段読まないような本であると思うのだが、なぜこれをセレクトしたのかね。
「特に理由はないんだけどね。書店で新潮文庫の棚をつらつら見ていたら、『あしながおじさん』が並んでて。そういえば子供の頃、子供名作全集か何かで短く訳されたものを読んだ記憶があって。たまにはこういうのも良いかなと思って。名作とか古典とかっていうのをまともの読んだことがなかったので」
ほう。
子供向けのものしか読んでいないとはいえ、内容的なものは分かっているわけであるよな。その状態で、大人になって再び読んでみた、どうであったかね。
「大変面白かったですね。名作ってこうなんだ、こういう風なものが残っていくんだとつくづく思いましたね・・」
なるほど・・。
まあ、大半の方は内容的なものはご存じであるとは思うが、一応簡単に触れてみるかね。
「ジョン・グリア孤児院で暮らすジルーシャ・アボットは、毎月の第一水曜日を恐れていた。その日は評議員やご婦人達が孤児院の様子を視察に来る日なのだ。孤児院で一番年長者であるジルーシャは、子供達をお行儀良くさせなければならない役目を負っており、その日は大変に神経を使う日なのだ。
その嫌な嫌な評議員達が帰る頃、ジルーシャは院長に呼び出される。院長室に向かうときには、ちょうど長身の評議員の一人が玄関から出て行くところであった・・・。
院長の要件は、評議員の一人がジルーシャを作家にすべく大学に進学させる援助をしたいという、彼女にとって喜ばしい驚きの内容であった。条件として、月に一回、どのような学生生活を送っているかを手紙に書いて送るという約束をすることになる。彼女はその親切に答えるべく、名前を明かさないその紳士を“あしながおじさん”と名付け、日常の出来事を持ち前の文才(?)をいかしてユーモアあふれる挿絵と共に手紙を送り続ける・・・。
この親切な紳士“あしながおじさん”の正体は、いったいどんな人物なのだろう・・・?」
・・・・ふむ。まあ、こんな感じだろうな。誰もが内容を知ってる物語なので、無駄に詳しく書く必要もないし。
「この物語の形態の特徴としては、皆さんご存じであろうと思うが、導入部分以外はジルーシャ(ジュディ)から“あしながおじさん”への、ほぼ一方通行の手紙で構成されている」
うむ。常識であるな。
「この手紙の内容がとてもみずみずしい。思春期の、文章を書くことが好きな女性が、日々の出来事を、儀礼的にではなく、まるで遠くに住む年の離れた友人に書くような感じで手紙を書き続ける」
ふむ。
「その文章がとても等身大な感じで好感が持てる。例えば(ファンの方には怒られるかも知れないが)、『赤毛のアン』の、主人公アンの台詞は感受性が強すぎてまるで違う次元の話を聞いているかのような気がする。ジルーシャの手紙も確かに想像力豊かではあるが、もっと周囲に世界があることを感じさせる。アンは“自分の世界”に名前をつけたりするが、ジルーシャの“世界”には自分も他者も存在した上での世界だ」
ふむふむ。
「ジルーシャは、その鋭い感性で、女子大学での生活や勉学、そして自らの創作活動の様子などをかしこまった文章ではなく綴り続ける。手紙を書くという行為なので、発信する対象が明確。漠然と、誰に対して発信しているか分からないブログのようなものと違って、曖昧さが無く彼女の言葉が明確にビジュアル化される」
ふむ。
「また、日常のさりげない出来事や、ちょっとしたつぶやきをさらっとしたためている。もちろん、書く対象があるか無いかで性格は異なるとは思うが、“書くことがない”という悩みを持ったブロガーは見習うべきなんじゃないかと思う。書くことがない、すなわちそれは、書き手の感性の不足でしかないということなのではないだろうか」
ほう。
「人間日々生きていると、何かしら心に思い浮かぶことがあると思うんですよ。それを汲み取れるか、取れないか。心によぎった小さな光を見える形に出来るか出来ないかはやはり本人の感性の問題であって、決して書くことがないというわけではないと思うんだよね」
むう。
上からの目線だな・・・!
「まあ、色々思うことはあっても、それが自分の記事のスタイルにそぐわない、とか、書きたい内容でない事である、とかいった理由があったりするとは思うんだけどね」
・・・・そこまで絞り出して書くもんでもないと思うぞ、ブログなんて。
「それはそうなんだけどね」
そうだろう。
「作者のそれまでの生き方が反映された主人公のキラキラした感性が、当時の女子大生の日常をリアルに描き出す。基本的に、女子大に通えるというのは結構恵まれた家庭の子供達なのだろう・・」
うむ。
「孤児院育ちの主人公が、お嬢達の世界に触れ、見るもの聴くもの全てが新しい世界。それは新鮮に映るだろう」
ふむ。
「その“新しい世界”を楽しんでいる手紙がとても良い。新しいものに触れて、感性がキラキラしているのだ」
ほう。
「多分、日々これくらい周りに新鮮さを感じないと、キラキラな文章なんか書けないんだろうなと思ってみたり・・」
まあ、キミのようなリスザル脳では、どれだけ刺激があっても書ける物も書けないだろうがな・・・。
「簡単に書いてしまったけど、それだけの感性があったら作家とかになれちゃうよね。なかなかに難しいですね、キラキラな感性・・・」
そりゃそうだ。
当たり前のことを当たり前に書いたまま今回は終わる。
いい加減その上から目線に気をつけるのだぞ、小人!