Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

記憶/ルーツ

 もう一昨年前の話になってしまうが、昔通っていた高校が統廃合によりなくなってしまった。



母校というやつだ。



 結構歴史のある学校で、大正時代に市立の女学校として誕生したそうだ。近隣の地区は、お嬢様の通う私立の女子高がいくつもあり、お金持ちのお嬢さんたちはそちらに行くのが慣例となっているので、我が母校の前身となったその女子高には、学校を出たら中流以上の家庭のお嫁さんになるみたいな、まあ、娘に勉強もさせたいけど上流の学校へやるほどのお金もないような、そんな大正の婦女子が通う女学校であったようだ。そのため、普通科のほかに、家政科とか被服科とかがあったとかなかったとか。



 最初に出来た時の女学校の跡地は、のちに名門K大学の医学部の校舎ができ、さらに移転した先の校舎跡地は、数年前離婚で話題にになった、あの女優NFが通っていたS女子大になったそうだ。そして、さらに移転をして、廃校まで現在の敷地に建っていた。





 自分の通っていた学校がなくなってしまうというのは、かなり悲しいものがある。センチメンタルな奴と思うかもしれないが。なんだか自分のルーツが一つなくなったってしまったような気がして…。

 あと、高校生活が全く楽しくなかったというなら話は違っただろうが、なんだかんだ言ってしっかり青春していたらしい。そのあたりもがっくりくる要因であるだろう。




 学校は統廃合になった移転してしまったため、完全に無くなったというわけではないが、歴史のある母校が、歴史の浅い馬鹿学校といっしょくたにされて、新興住宅地に移転されてしまう。この状況は“無くなった”という状況と果てしなく近いと思う…。




 少子化の影響というやつか…。



 馬鹿学校と統廃合されて、校名も変わった。歴史の無い新興住宅地の中に立つ、歴史のない新しい学校に、歴史ある校名がつくはずもなく。なんだか現代風のどこかのテレビの学園ドラマの舞台になりそうなくっさい学校名に変わってしまった。




 文字通り、母校の“歴史”は“無くなって”しまった。





 通っていた高校がなくなったからといって、現在の生活に何か支障が出るわけではない。ただ、人生の一部分が途切れてしまったような不思議な虚しさがある。たぶんなかなか理解されないと思うけれど。




 それだけのお話。