Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

記憶/思い2

 昨日神戸の中心街を歩いていた。
全くの日常。手を繋いで歩く若い男女、安売りの靴を値踏みするおばさん達、テイクアウトのコーヒーを片手にウインドウショッピングをする女子高生・・・。この間にも被災地では余震が続き、被災した方はこれからどう生活していくかを悩んでいるのだ・・・。


 
 阪神大震災の時、やっと交通が部分的に回復して、当時の職場に無事を知らせに大阪までたどり着いた日だ。ちなみに本来なら50分くらいでたどり着く梅田の地であるが、4時間半たどり着くまでかかった。さらに言うと帰りは5時間半以上かかって帰宅した。

 神戸の町は、生活している人すべてがいわゆる“震災ルック”であった。洗うことも出来ず、のび放題になった髪の毛を帽子に入れ、寝るときも着たままの上着を着、顔にはマスク、移動中は身の回りのものを入れたリュックを必ず背負っていた。もう二ヶ月も風呂には良いっていない。ひげも伸び放題。自分もそうだったが、周りの人達もみんなそうだった。

 長時間かけてJRの大阪駅を降りると、そこは別世界だった。リュックを背負ってルンペンみたいな格好で歩いているのは自分だけ。ビジネスマンはこざっぱりとしたスーツに身を包み、買い物客はブランドの紙袋を持ってお買い物。ああ、なんだろう。ちょっと涙ぐんでしまった。


 当時の仕事場へ行く前に、サウナへ行った。2ヶ月ぶりの風呂だ。垢を落とし、髪を洗い、ひげを剃った。下着も買って替えた。温かい風呂。この間も地元に残っている家族は練炭の火で暖をとっているのだ。埃だらけの町で・・・。




 今日の神戸の中心街は、なんだか当時の大阪のようだ。大きな災害とは遠く離れている。危機感も、被災者の生活も、対岸の火事か何かのようだ。まあ、確かにそうなんだけれど。



 街頭には、早速募金活動を開始した団体があるらしく、制服を着た高校生達が震災に対する募金を呼びかける声が響いていた。ささやかではあるが募金をした。個人的にはあまりこういった街頭での募金には応じないことにしている。本当にそのお金が正しく使われるのかどうかちょっと疑わしかったりするからだ。謎の団体に小銭を差し出したと言うだけになりかねなかったりするのだ。

 だが今日はそんなことはどうでも良かった。相手が制服を着た高校生(中学生?)であったというのも要因かも知れない。ただ、過去に被災した経験のあるものとして、少しでも何かしたいという気分になっていた。このお金がどこへ行くかなんてちっとも分からないけど。


 正直募金なんて、すぐには被災者に対してはプラスになるものではない。ある程度の金額が貯まるまで被災地の自治体や行政に渡されることはないし、渡されても今度は何に使うかなんて話し合いがあって、長い時間を経て、やっと実際に被災した人達に物資などの形で供給される。



 それでも、華やかな神戸の中心街にいたとき、買い物客やカップルで賑わう神戸の中心街にいたとき、何かをせずにはいられなかった。

 本当にたいした金額ではない。

 ただ、願わくば、募金したお金がわけの分からない詐欺団体などへ行かず、正しい経路を経て、時間がかかろうとも、被災した人の役に、ほんの少しでもなれば・・・。


 自然災害は対岸の火事ではない。いつ、どこで起こるか分からないものなんだ。ほんの少し、ほんの少しだけ、皆さんの意識を被災地へ。


 哀れに思う必要はないし、高額の寄付をしろとも言わない。ただ、そんな人達もいるんだと。がれきの中で生きていってる人達がいるんだと。ほんの少しだけ、意識を被災地へ向けてもらえれば・・・。