いらっしゃいませ。
・・いや、あれには本当に参ったな。
彼は過日、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読了したらしい。今回はそれについての感想とかを、やたらと参りながら書いてみたいそうだ。
もはや古典と言われてもおかしくない作品であるが。
「50年代の作品らしいね」
ふむ。
「学生の頃、なんだかやたらとこの作品を薦めてくる奴がいて、当時“本を読む”という事に対して今ほど積極的ではなかったので、“ああそうですか”くらいの感じでスルーしてたんだけどね」
ふむふむ。
「薦めてくる奴が、なんだか“俺ってクール”とか、“おまえらみたいなガキとはちょっと考え方が違うぜ”とか、“俺の『カッコイイ』は世間の『カッコイイ』なんだぜ”みたいな空気を醸し出してる奴だったので、余計に無視してしまった。ちょっとウザかった」
ザ・流行って感じだな。
「なんだか世間では、“青春の通過儀礼的作品”であるとか、“クールな作品”であるとか、“若い間に読むべき作品”とか、なんだかそういった評判であったので、そんな評判もちょっとウザかったので、更にスルーされる存在になっていたんだ」
なるほど。
で、その“青春のなんたら”を、おっさんになってから読む気になったのかね。
「実の所、この本自体は今から10年以上まえに購入してたんだ」
ほう?
「当時仕事を辞めた直後で、生活は超本格派のヒキ・ニート状態だったんだけどね」
・・・何をカミングアウトしだした?!
「まあ、ヒッキーは今もあまり変わりはないんだけれどね」
・・・。
「・・・とにかく仕事は辞めなければならなくなるわ、実家はトラブルでゴタゴタ状態だわ、とにかく家庭崩壊状態であったわけですよ」
・・・・この痛々しいカミングアウトはまだ続くのか?
「・・・・ハッ!やばいやばい・・・。あやうくとてつもなくイタイ過去をさらしまくってしまうところであった・・・!」
ふう・・・。
「まあ、気分転換を求めて本屋に入ったときに、学生の時に散々薦められたなあと思い出して手に取ってみたんだけどね」
ふむ。
「当時は数ページ読んだところでそのノリについて行けなくて、結局読むのを止めてしまったんだ。まあ、読書自体が習慣化していなかったというのもあるが」
ほう。
「本棚の中に紙カバーがついたままになってる本があったんで、何かなと思ったら、ずっと忘れたままになっていた『ライ麦畑でつかまえて』であったんだ」
やっとクソ長い前置きが終わったか。
で?
「今回読み終わってから知ったんだけど、ちょっと後悔したことがあって」
ん?
「なんだか村上春樹氏が翻訳したバージョンもあるとかで。そちらだともしかしたらもう少し取っつきやすかったかなとか思って」
取っつきにくかったのかね。
「まあ、基本、翻訳物なんでそんなに取っつきやすいものは期待しないけどね。それでも読みやすい方であったと思うよ」
なるほど。
で、大まかな感想であるが、どんな感じかね。
「うーん正直かなり感想に困る本だね・・・」
ほう?
「ちょっと感想に困って、巻末の解説なんかを読んでみて、この作品をどう読み取ったらいいのかをちょっと考えてしまった」
そんなに難解な作品なのかね。
「うーん、難解というか・・・。どうなんだろう?やはり世間一般で言われているような、大人世界への反発と憧れの中間にある恐れのような・・・。それを興味深く見たいな・・・。そんな感想であれば皆さん満足ですか?」
なんだそりゃ。
「正直、巻末の解説を読むまで、どうも作品自体の意味すらわからなくて、解説を見てやっと物語のあちこちにちりばめられた“サイン”の意味を理解したくらいで・・・。これは読者として知能程度が低すぎますか?」
さあ?
「まったく“若者の心の機微”が理解できない感じの人になってしまっているですかね?」
・・・さあ?
それより若干日本語がおかしいぞ。
「“若者の心の機微を捉えた良作”なのか、“若者の支離滅裂な行動を書いた『?』”な作品なのか・・・。そのあたりを、実際に読んだことがある人に訊いてみたいと思ったね」
ほう。
まあ、なんだかわからないけど難解な作品名わけだな?
「多分“難解”なのではなく、“文学的”なんだろうね。どうもそのあたりが知能程度が低すぎてなじめなかった理由だと思うんだけどね」
ふうむ。
「本当、誰か解説お願いしたいです」
弱気な。
まあいい。
では、例によって内容に少し触れてみるかね。もちろんネタバレ注意報ということで。
「大戦後間もなくのアメリカ。主人公のホールデン・コールフィールドは成績不振により、3校目に当たるボーディングスクール“ペンシー”を退学させられたことをきっかけに寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを放浪する3日間の話。
17歳のホールデンは、父親が弁護士をしており、兄も映画脚本家でそこそこ裕福な家庭の子供であった。こうした裕福な家庭の子供の多くと同じように、名門大学に進学すべく、全寮制のボーディングスクールに入れられるが、成績不振や問題行動などで、すでに二つの学校をやめており、“ペンシー”を放校されれば3校目となる。
本来は水曜日に実家に帰る予定であったが、日曜日に学校を飛び出してしまう。
放浪の途中、もう誰も自分のことなど知らない土地へと旅をしようと思い立ち、妹にだけはお別れを言おうと思い、深夜の自宅マンションに忍び込む。
自身の落ちこぼれ意識や疎外感に苛まれるホールデンが、妹に、『どうして学校を辞めさせられたの?将来どんな人間になりたいの?』と問い詰められて、漠然とした自分の夢を語りだす。『自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、気付かずに崖っぷちから落ちそうになったときに、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい...』
大人のように振舞いながら、大人や世間の“イカサマ”や“インチキ”に嫌悪を感じるホールデン。彼はどこを目指していたのか・・・」
・・・君は大変なキーワードをあらすじに書いてしまっているのではないか?!
「まあ、キーワードはキーワードで。このキーワードは物語の本質でもあるし、そうでないとも言えるし」
むう。
「物語は、なんだか支離滅裂な行動を取るホールデンの一人語りで進む。言動は大人の行動や倫理観を毛嫌いした内容であるが、行動は年齢を偽ってバーで飲酒してみたり、なぜだかコールガールを呼ぶ羽目になったり、かなり支離滅裂」
ふむ。
「ちなみにコールガールは、呼んでから急に“なんだか寂しくなってしまって”そのまま帰してしまう。また、自分からガールフレンドをデートに誘っておきながら、デート中に“嫌になっちまって”怒らせるような言動を発してみたり、嫌がるような行動をしてしまったりする」
ふむふむ。
「解説によると、そのあたりのことが、ホールデンの“インチキなもの”や“いやらしいもの”に対する嫌悪感を表現している、らしい」
ふむ。
「あと、日常会話としての、挨拶に関する『お会いできてうれしい』や、『幸運を祈る』などという社交辞令に遭遇すると、これにも嫌悪を覚える。うれしくも無いのに“うれしい”や、幸運を祈っても無いのに“祈る”といったことが大人や世間の“インチキ”としてうつるのだ」
ほう。
「そのあたりのところが主人公ホールデンの支離滅裂行動に反映されているらしいけど、どうもその辺に感情移入できない」
ほほう。
「作者の言いたいことは解説を読んでよくわかった。なんだか自分にもあったような気がする。ただ、感覚として、共感できなかった。これは自分が大人になりすぎたから、というより、自分の性格的なものがどうもホールデンとは違ってしまっているからのように思う。どうも少しだけ感覚のベクトルが違っているんだと思う」
・・・ちょっと表現が抽象的になっているぞ。
「たぶん同調できる人もいるだろうけど、自分なら、もし同じような境遇であっても、同じような行動はとらないだろうしな、なんて思ってしまったり」
ふむ・・・。
「結局は主人公に感情移入出来るか出来ないかで作品に対する感想は大きく変わってしまうってだけなんだろうけどね、自己分析で終わってしまうけど」
・・・どうかね、この作品はお勧めできる作品かね。
「繊細な心をもてあまし中の高校生たち、主人公に共感できればありだと思いますよ。ただ、若者文化の本ではあるけれど、若者にはちょっとハードルが高いかもしれません」
ふうん。
よく分からないままで終わってしまいそうであるが、今回はこのあたりで終わる。