Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

読書感想文 『ナイン・ストーリーズ NINE STORIES』 J.D.サリンジャー J.D.Salinger  野崎 孝 訳 を読んだ

 いらっしゃいませ。


 ・・・ええ、良心的な価格設定だと思ってますよ。





 彼は過日、J.D.サリンジャー氏の短編小説集、『ナイン・ストーリーズ』を読了したらしい。今回はそれについての感想とかを恐る恐る書いていきたいらしい。

どうであったかね。





「読み終わるのに、かなり苦労しましたね・・・」






ほう・・・。
基本的にキミは翻訳物を読むときは、かなり読み終わるのに手こずるようだが。







「翻訳物であるというより、この独特の世界観に苦労させられたというか・・・。どうなんですか?村上春樹氏の作品とかって、こんなな感じなんですか?読んだこと無いんで分からないんですけど」






さあ・・・。







「以前この記事でも感想を書いた、『ライ麦畑でつかまえて』を読んだときも感想に困ったんだけど、なんだか物語のどこをつかまえて良いのか良く分からないまま終わっていく感じというか・・・」






・・・ふうむ。

どうかね、内容とかに触れてみるかね。








「短編集なので、内容には触れにくいので、今回特にそういった物は書かないつもり。とりあえず、九つの物語のタイトルだけは列挙しておこう」





ふむ。


・バナナフィッシュにうってつけの日  - A Perfect Day for Bananafish -

コネティカットのひょこひょこおじさん  - Uncle Wiggly in Connecticut -

・対エスキモー戦争の前夜   - Just Before the War with the Eskimos -

笑い男   - The Laughing Man -

・小舟のほとりで   - Down at the Dinghy -

・エズミに捧ぐ −愛と汚辱のうちに   - For Esme−with Love and Squalor -

・愛らしき口もと目は緑   - Pretty Mouth and Greeen My Eyes -

・ド・ドーミエ=スミスの青の時代   - De Daumier-Smith's Blue Period -

・テディ   - Teddy -





「基本的に作品間に関連性はないようだ。ただ、“バナナフィッシュにうってつけの日”と“テディ”は他のサリンジャー氏の作品に関わりがあるらしい」




ふむ。




「まず、この本のタイトルである“ナイン・ストーリーズ”は、リサ・ローブのファーストアルバムの時のバンドの名前だ。やはりこういった情感的な小説をリサ・ローブも好んでいたのだろうか。さらに言うと、“バナナフィッシュ”という言葉は完全に漫画のタイトルになっているし、“笑い男”という言葉も『攻殻機動隊』でかなり重要なキーワードになっていたりする。あちこちに結構な影響を与えているようだね」






キミの鈍感な感性とは違って、ちゃんとした感性とかを持っている人には訴えかけてくる物があるのだろう、無感動君。






「何だろう、盛り上がることもなく、しっかりした落ちがあるわけでもなく。多分、そうした当たり前の読み方とか解釈ではなく、感受性で登場する若者や子供の気持ちを感じろという事なんだろうな、と、漠然と思いつつ」






ふむ。







「大人でありたい、大人になりたくない、青年の時の気持ち、今の自分と過去の自分・・・。その時の気持ちやきらめき、行間からにじみ出てくる繊細に気持ちの移り変わりを感じ取る作品なんだ、とか書いておけば、それっぽいですか?」






なんだそりゃ。






「なんとなくは分かりますよ、なんとなく。子供の感性、青年の感性、親子の気持ち、分かります。ただ、個人的にはそれほど“それ”はハートをがっちり鷲掴みにするという事はなくて」






感性がないな、キミは。






「分かってるんですよ。心の“ゆらっ”とした瞬間とか、“きらっ”とした瞬間とか、そんな小さな心の機微を感じ取る作品群であることも」







ふむ。







「ただ、それは、どうも“ピンポン球野球”みたいな感じで・・・」






・・・?







「別に“メジャーリーグ”みたいなわかりやすさでなくても良くて、“硬式野球”で無くても“軟式野球”で無くても良くて・・・。なんだろう、せめて“軟式テニスボール野球”位の存在感というか、現実感というか・・・・、」







何が言いたいのか今一つ分からないな。







「“分かりやすく”無くても良いけど、もう少しつかみ所のある“感触”のある物の方が、もう一歩作品の中に入り込みやすいかな・・・」






・・・まあ、端的に言うと、キミ自身の感受性の不足が原因であるという事だな。







「まあ、『赤毛のアン』とかに何ら魅力を感じない人なんで、否定は出来ない・・・」






全く入り込むことが出来なかったのかね?






「いや、いくつかは興味深く読めた。『笑い男』、『小舟のほとりで』、『エズミに捧ぐ』、『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』、『テディ』はそれぞれ分かりやすかった。ただ、『テディ』なんかは完全に作品群の中では毛色が違った作品なんで、そこが気に入ったと言ってはいけない作品なのかも知れないけど」






ふーん・・・。

どうかね、この作品はおすすめできる作品かね。







「感性の豊かな方、感受性の強めな方、少年の日の心のきらめきと苦悩を忘れていない方、物語の落ちにこだわらない方、読んでみてはいかがでしょうか。分かりやすい勧善懲悪アクション巨編がお好みという方には、最後まで『?』なままで終わってしまうことでしょう」






ふむ。

で、どうかね。この作者の作品はまた読むかね。







「『ライ麦畑でつかまえて』でも今一つ理解できなかったし、今作を読んでもつかみきれなかった。うーん、理解を深めようと努力する心が芽生えれば、もしかしたら何か選んでみるかも知れません」






今回は結果的にみて、キミの感性はクソ、感受性はゼロという事が浮き彫りになった記事であったな。


まあ、また何か読んだら感想を書くように。



全く歯切れが悪いまま、こんな感じで終わる。