Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

遅ればせながら 映画『パシフィック・リム』を観に行ってきた 短い感想文


イェーガー “ジプシー・デンジャー”


・・・さて、ネットを見てみると、小説とかではものすごくしっかりしたストーリーとかが組まれているようで、映画版だけを観て“?”と云う気分になってしまったシナリオとかにはふれない方が良いのかも知れないという気分になってきた。

映画版のシナリオは、恐らくらっきょうの皮を剥いて、剥いて、剥いて、最終的に食べるところが無くなってしまったでござるというような状態なわけなんだねきっと・・・。



ウーン、それでも突っ込むべき所だらけで、どうしたものか・・・。まあ、適当に突っ込むけど。ネタバレ注意報ということで。




まず、予想したものよりは全然面白かった。


映画が始まって、最初の出撃の所までの作り込みでがっちり心をつかまれてしまった!



ものすごく分かり易いSFチックなキーワードが満載なわけである(もちろんそのワードが映像で流れるわけだけど)。



人間の動きをそっくりトレースして動くロボットハンド。それはもちろん人間のパワーを何万倍にも増大して動き、かつ繊細な動きも出来る。感触なんかをフィードバックして操縦者に伝えるわけで・・・、ってこれって『宇宙の戦士』のパワードスーツの概念だよね!?


そして、大型ロボットと操縦者は「神経接続」され、(ある程度)操縦者の動きをほぼ同時に再現する。神経接続は操縦者に過度な負担を与えるために(特に脳や神経系)、タンデム操縦とすることで大脳への負担を軽減、そのためにパイロットとコパイロットはお互いを神経接続してシンクロ(劇中ではこれを“ドリフト”と呼んでいた)、二人で「一人のパイロット」として未知なる驚異“KAIJU”と戦っていく。


神経接続専用の戦闘スーツ、スーツ内は神経接続専用の液体で満たされる(この液体から酸素を取り入れるわけでは無い)。いやあ、『エヴァンゲリオン』っぽい(笑)。

因みにスーツのデザインはミリタリーSFものっぽいイカしたデザインだけれど、エヴァのプラグスーツのデザインの方が洗練されているような気がする。多分、『パシフィック・リム』ではわざと洗練されていない感じにデザインしたんじゃないかななんて思ってみたり。


このプラグスーツを着た操縦者(レンジャーと云うらしい)が、コクピットの中でマーシャルアーツのような動きをする。その動きを巨大ロボ“イェーガー”が正確にトレースする。
二人の操縦者の脳はシンクロしているため、動きもシンクロする。


・・・コクピットの中で操縦者の動きをトレースしてって・・・。幼少のみぎりに観た特撮(確か『ジャンボーグA』だったか?)っぽくてちょっと微笑ましい(?)。まあ、普通に考えればレバーやスイッチで操作するより、身体の複雑な動きをそのままトレースした方が正確かつ迅速に動くわけで。


ロボット(イェーガー)のダメージを痛みで感じ取れるところもエヴァっぽい。


そういえば、これまた幼少のみぎりに観たアニメの記憶で、ちょっと定かで無いんだけれど、確か『勇者ライディーン』で(?)、ロボットとシンクロして戦う主人公が、ロボットの損傷が激しくて死んでしまうとかなんとかの話が合ったような・・・。




ここまで『パシフィック・リム』の感想無し。

あれ?


まあ、そういうおもしろおかしい感じの所は置いておいて・・・。



ついこの間観た『アヴェンジャーズ』をもう一度見直しているようなこのシナリオは、何とかならんものなんだろうか。


未知の勢力が、次元の狭間からゾクゾクと進行してくる。

次元の穴を爆弾かなんかで塞がにゃならん。

死に役が特攻する。

主人公はピンチだったけどなんだかんだで無事に戻ってくる。

ヒロインとくっつく。



むむう。

これの一番酷かったのが『インディペンデンス・デイ』だったな・・・。死に役が特攻で死んだにもかかわらず、基地のみんなは大盛り上がり。

パシフィック・リム』では、一応死に役の親父さんが泣いていたのでまだましか。

ああ、『アルマゲドン』とかもそうなのかな。



パシフィック・リム』では、設定とかの一番ぶっといところを残らず削り取ってしまったので結局こうなってしまったというか・・・。



しかし巨大ロボット達、基本的に攻撃が“殴る”!重火器での破壊や遠距離からの火器での攻撃ではなく、基本“殴る”!そのため見た目の映像がとっても鈍重!うーん。
ただ、これは元の設定で、“怪獣には内部破壊を起こす攻撃や打撃が一番有効である。切ったり打っ飛ばしたりすると怪獣の体液で周辺が汚染されてしまうし!”というのが有ってのことのようで。でもそれは本編でちょっとでもふれないと・・・。殴ってる映像が全く有効に見えないんだよなあ・・・。まどろっこしいし。かといって“イェーガー”が圧倒的に怪獣に対して強い感じでも無いし、逆に怪獣の存在もものすごく圧倒的にも感じられない・・・。まあ、演出とかの問題でもあるんだろうけど。

なんだろう。例えば“60メートル級の巨人”とか、“フリーダム・ガンダム”とか、“雪風”と“ジャム”とか、“蝕が始まる”とか、本当に圧倒的で、目の前にすると思考することすら出来ない存在というか・・・。


抽象的な感想ですな。



あ、でも存外楽しめましたよ。


追記

書き終わってからちょっと思い出した部分を書き足すことにする。

ヒロイン・マコのイェーガーのパイロットになりたい!という執念に対して、どうも動機の部分の描写が薄すぎる気がした。幼少時代に怪獣の東京襲撃により家族を失う、という映像表現であったが。敢えてだろうが家族が死んでいく場面が無い。
例えば、家族ががれきの下敷きになるところを見てしまうだとか、家族が怪獣に喰われるところを見てしまうだとか、復讐が彼女を駆り立てているのだという強い動機付けが映像で欲しかったかな・・・。

ベルセルク』の主人公・ガッツがなぜほとんど勝算の無い敵・神(?)や天使(?)に戦いを挑み続けているのかというと、“蝕”という圧倒的な体験をしてしまったからその後の行動にも説得力があるわけで。

あ、別に残虐な表現を礼賛しているわけでは無いので誤解しないでね。単に物語としての“説得力”の話しなんで。