Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

短い 読書感想文 『キラレ×キラレ』(Xシリーズ) 森 博嗣 著 を読んだ


S&Mシリーズのような凄みは無い。

というか、ちょい役でS&Mシリーズのヒロイン、“西之園萌絵”(にしのその もえ)が出てきているのでこのシリーズも読んでいる。


・・・うーん。なんだろう?“凄くない”というのは、ある意味罪なのかも知れない。森さんに関しては。



先に“四季シリーズ”あたりを読んだ方が良かったのだろうか・・・?



すべてがFになる』がドラマ化されるという。小説版は終盤の凄みがたまらない作品。“犀川創平”、“真賀田四季”、そして“西之園萌絵”というずば抜けた頭脳の持ち主達がごつごつした思考の固まりを投げつけてくる(四季の思考を追いかける)。

これをドラマで?

西之園萌絵”役を武井咲で?

難役。究極の理系女子、だろうし。西之園萌絵というヒロインは。


ともかく、今回読んだ作品には凄みは無かった。




追記

最近、自分の文章が妙に生暖かい。自分で読んでいても気持ち悪いのだが、どうも自分の感想や思考で人をザクザクと斬っていくことが怖くなっている、ようだ。
意見を言わないとか、直球で批判しないとかで、人からの批判やなんかを避けている自分(の文章)がある。これは、書いても読んでもつまらない。
しかし、ネットで見ず知らずの人間がどれだけ無責任に人を誹謗中傷するのかという現実と戦ってみて(詳細はふせる)、どうも、その「汚染物質」から逃げながら、どうやって自分の意見を晒していくかという所に思考の着地点を見いだせない自分が居る、らしい。
「優しい自分」を演じている?「穏やかな自分」を演じている?
それは日和見っているだけ?
今回の感想にしても、究極“面白くなかった”で良いのかも知れない。でも、その表現も違うような気がするし。
ただ、本当に自分が思った球を、思ったところに直球で投げつけないと、思考や感情はぶれて、本当に思っている“言葉”や“気持ち”なんて伝わらないんだろうなとも思う(“人格”とかも)。
気持ちや思考をピッチングマシンみたいにガシガシ投げつけたい自分と、感情を壊死させるような悪意の奔流を避けたい自分がいる。きっと。思考の底のディレンマ。きっと。
いい歳した大人なんだけどな・・・。