少し前に和田岬駅あたりをぶらぶらした
いらっしゃいませ。
さあ、グッと一杯!
水道水だけどな!!ふははははははは!!!!
彼が数ヶ月前に街ブラした話題を記事に書こうという気らしい。なぜ急に記事をアップしようと思ったのかね?
「待っていてくれる人が・・・。記事の更新を待っていてくれる人が!」
・・・落ち着け。
どの辺りをぶらついてきたのかね?
「まだ桜が咲く前でしたが、JR和田岬駅辺りから高松線をひたすら西に歩いて参りました」
ほう。特に観光地などがあるような地域では無いと思うが・・・?
「子供の頃あまり近づくことの出来なかったこの辺りが今どんな感じなのかを見てみたくなりまして」
ほほう。
「震災後の区画整理や地域の再開発、地下鉄海岸線が出来た影響やなんかを肌に感じたかったのであります」
ありますか。
「まあ、お昼ご飯を和田岬近辺で食べたので、そのついでというのが最も大きな理由であるんですけどね」
・・・まあ、そんなことだろうと思った。
とっとと始めたまえ。
「スタートはJR和田岬駅近く。三菱造船所などに出勤する方が乗る電車が、朝と夕方のみ運行される」
「駅の方を向いてみよう。かつての駅舎跡は、今はコンビニになっているようだね」
「では出発。左側に見えているバス道を、ひたすら西へ西へ」
「バス道は通称“高松線”。かつては神戸市電が走っていた。ちょっと昭和な感じと、新しくできたマンションとが混ざり合う町並み」
「震災後、再開発や区画整理などが頻繁に行われており、町並みはどんどん新しくなっていっている」
「歩くこと数分、左手にヤマダ電機とニトリ、右手には大きなドームが。御崎公園が近くなってきたな・・・?」
ヤマダ電機の写メは要らなくないか?
「お、見えてきましたヴィッセル神戸のホーム・グラウンド“ノエビア・スタジアム”」
さすがに大きいな。
「正面入り口。写メに指が写り込んでいる・・・。恥ずかしい」
ひどい写真だな。
「エントランスに神戸にゆかりのある方や選手の足形が。宮本恒靖さん」
「大久保嘉人さん」
「神戸出身のシンガーソングライター、平松愛理さん」
「いろんな方の足形がありましたが、面倒くさいんで三枚しか撮影しませんでした」
相変わらずの手抜き感だな。
「平日の昼間で、試合をやっているわけではないが、入り口は出入りが出来る。中にあるイタリアン・レストランとスポーツジムの利用者のためのようだ。小さなイベントホールとかもあるようだ」
へえ。
「入り口を入ると正面に青々としたピッチを見ることが出来る。もちろん入れませんよ」
「入り口左にはイタリアンレストラン。行った時はまだランチの時間帯だった。夜は予約制のようだな。試合を見ながら食事が出来たりするのかな?」
「外に出て建物を見上げてみる。大きな建物ではあるが、威圧感は薄い。そういうデザインなんだろうな」
「スタジアムを出て元の高松線に戻る途中、こんな看板が。どうやら公園エントランスの地下には巨大な貯水槽が有り、災害や緊急時用の水を溜めているらしい」
「阪神大震災の折、消防車やポンプ車が火災現場にたどり着けても、肝心の放水すべき水がなかった、という事例がたくさんあったしね・・・。こういった設備の整備は本当に良いことだと思いますね・・・」
そうだな・・・。
「スタジアムを出て元の高松線に。また西に向かって歩く」
「区画整理の工事現場に、この近辺の歴史みたいなのが掲示されていたのでちょっと読んでみた」
ふむ。
「ざっくり云うと、大正時代に鐘紡の紡績工場や三菱造船所などの大工場が出来て工業地帯として発達、未収した木造家屋の下町を形成。街は戦災を免れたが、紡績工場は焼失。跡地は短い間であったが神戸競輪場となった。神戸競輪が無くなったあと、球技施設になり、グラウンドはさらに神戸ウイングスタジアム(当時)になった。古い下町は再開発と区画整理が施されている最中で、新しい町へ変貌を遂げようとしている、みたいな感じだ」
そうですか。
「少し戻って、高松線から北へ歩いてみよう。古い大きな運河にたどり着くはずだ。写メ右手に見える大きな建物はノエビア・スタジアムの西の端っこ。その脇を北へ歩いて行く」
ふむ。
「歩くこと数分、兵庫運河にたどり着いた。この辺りは遊歩道になっているな」
「運河の歴史とかを書いてあったよ。個人的にはこういうの見るの大好きで!」
なんだそりゃ。
「ざっくり云うと、兵庫から新しい神戸港へ船を回すのに安全のために運河を掘った。掘って出来ちゃった土で沖合の浅瀬に苅藻島を造っちゃった。船の往来が無くなったあとは貯木場となった。貯木も少なくなってきたんで、最近はカヌー競技やってる」
・・・まとめたなぁ。
「運河沿いの遊歩道を北東へ」
「河面を覗いてみた。」
「まだ水の冷たい季節だからか、予想以上に透明度が高い。写メに見えるモヤモヤは水の濁りでは無くて上空の雲が水面に映っているのだ」
へえ。で、画面左の赤い何かは?
「・・・また指が写り込んでしまった」
「川面に映る“材木橋”」
「そして運河沿いの目的地、“鉄道橋”が見えてきた。“鉄道橋”という名前より、“和田旋回橋”と云う名のほうが有名なのかな?」
・・・ほう。
wikipedia記事がありましたので、リンクを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%97%8B%E5%9B%9E%E6%A9%8B
「東詰にある木は桜かな?桜の季節は美しいかも知れない」
「運河内の船の往来のために、鉄道橋を開門させる必要があったのだが、この橋は橋脚が回転することによって開門、船を往来させていた。当時としては凄い技術。現在も鉄道橋として立派に機能している。保存の状態が良いのだ。もちろん可動機構自体は既に無くなっているのだが」
ふむ。
「竣工明治三十二年。“日本最古かつ最初の鉄道可動橋”なんだそうな」
・・・へえ。
「先ほどの“材木橋”から眺めてみる。現在もJR和田岬線の電車が朝夕の通勤客を乗せてこの橋の上を走っている」
「さて、来た道を戻ってバス道(高松線)に戻ってきたけれど、行きつ戻りつしていたので写メがどこの写真なのか今一つ思い出せませんぜ。ともかく高松線を西に向かって歩いています。恐らくもうすぐ地下鉄の御崎公園駅、と云うポイントの写メ・・・」
無責任きわまりなし。
「市営地下鉄御崎公園駅の南出口。上がスーパーみたいな商業施設になっているけど、古くは市場になっていたような記憶が・・・」
「さらに西に歩きますよ。次は地下鉄苅藻駅がランドマークになるかな?」
「金平町交差点。地図で見ると、南は苅藻運河が広がってるっぽいんだけど。苅藻運河と苅藻島が見えるかな。ということでちょっと寄り道して南下してみましょうかね」
「歩くこと数分。海っぽいところに出たよ。これは苅藻運河かな?正面沖に見える堤防の向こうは、苅藻島かな?」
地図が正しければ、一枚目の堤防の向こうは苅藻島のヨットの係留所だな。
「運河を見たのでまたバス道へ戻るよ。地下鉄の苅藻駅へ」
「高松橋に到着。これが兵庫運河の西のはし。橋の上から北向きに撮影」
「運河の東は兵庫区」
「橋を渡り神戸市長田区に入った」
「橋を渡るとほんのちょっと空気が変わる。町並みとか往来する人の感じとか・・・。良い言い方をすると、下町度が増したというか・・・」
「まだひたすら西へ。まもなく苅藻駅かな?写メは東尻池8丁目交差点」
「東尻池8丁目交差点から数分、市営地下鉄苅藻駅北出口。震災後街が新しくなっているので、昔ほどの独特な空気感は薄い。この辺りに関しては」
「苅藻駅からバス道をさらに西へ。新湊川を越える。写メは川を北向きに撮影。画面の右側には真野の独特の空気感が写り込む」
「バス道をさらに西へ。もうすぐ駒ヶ林かな?南には丸いガスタンクが見える。もっと複数並んでいたような記憶があるのだが、一つしか見えないな」
「駒ヶ林の温泉施設“あぐろの湯”に到着。天然温泉掛け流しらしい」
「駒栄4丁目交差点。画面の左端に地下鉄駒ヶ林駅の南出口が・・・、見切れて見えないな」
「駒栄4丁目交差点を右折、北上してJR新長田駅方面へ向かおう。まずは地下鉄駒ヶ林駅の北口へ」
「歩くこと数分。神戸市営地下鉄海岸線駒ヶ林駅の北口に到着。北口では、呉の大都督“周瑜 公瑾”の石像が出迎えてくれる!」
「この辺りは著名な漫画家、横山光輝さんの出身地。“横山=三國志”ということで、三國志で街おこしをしているんだ」
・・・へえ。
「この辺りの商店街もかなりいぶし銀な感じで面白いんだけど、今回はともかく“高松線編”ということでこの辺りで・・・」
まあ、写メも多かったからな。
終わりたまえ、スタミナ切れの小人よ。
因みに最後の写メは、駒ヶ林駅すぐの“六間道商店街”の入り口だ。