いらっしゃいませ。
先日聞いた話なんですが、『のどが渇いた』と思ったら、その時にはすでに体内の水分量が不足してる状態らしいですよ。だから、こまめに水分補給をして、体内の水分量が不足しないようにして方が良いって・・・。
いや、だから聞いた話ですってば!のどが渇いたって思った瞬間にはとか言われてもっていうのは分かりますが・・・。
まあ、水分補給してくださいよ・・。グラスはそっちですから・・・。
最近彼は、皆さんが読書の時どんな風に読んでいるのかが気になって仕方がないそうだ。
どんな風とか云われても、布団の中ですとか、通勤電車の中ですとかしかそんな感じなんじゃないのか?あと図書館派とか、喫茶店派とか・・・。
「うーん、そういうのではなくて・・、どんなことを考えているのか・・・違うな。文章をどのように読んでいるか・・・でもないか・・」
さっぱり要領を得ないが。何が言いたいのか。
「・・・例えば、現在継続して読んでいる森博嗣氏のミステリー小説の『S&Mシリーズ』を読むとしよう」
ふむ。
「第1作目の『すべてがFになる』を読み始めて、女性主人公の西之園萌絵が出てきて、同じく男性主人公の犀川創平と会話をしばらくしている間に・・・」
ふむ。
「西之園萌絵のビジュアルが、脳内で完全に南マキ氏の少女マンガ『S・A』の主人公の華園光に似たビジュアルに変換・固定化され(ほぼ華園光)・・・」
ほう。
「以後第8作まで読んでいるのだが、西之園萌絵の出てくるシーンはほとんどそのように脳内変換されてしまう」
・・・むう?
では、当然男性主人公の犀川創平も南マキ調な感じのイメージで変換されているわけだな?
「ところが犀川創平はイラストレーターの中村佑介氏の描く男性キャラクターの髪の毛をちょっと長めにしてボサッとした感じのビジュアルに変換される」
なんだそりゃ。
では、ツーショットで歩いているシーンだったりすると、南キャラと中村キャラが並んで歩いている感じに脳内では変換されているわけか?
「まさに」
何でもそんな風に変換して読んでいるにかね。
「したくて変換しているわけではなくて、読み出すと、そうなる・・・。文章が脳内の視覚的記憶に直結してしまう、のかな」
他にはどんな感じ?
「うーん、今現在読みかけの『チャイルド44』という小説は、主人公が出てきた瞬間に脳内でレオナルド・ディカプリオっぽい人に変換されてしまった」
実写もアリか。
「でも、その奥さんはアニメ調のキャラクターに変換されている」
・・・アニメと実写まで混在するのか!
「脳内では全く違和感無し」
他には?
「シーンごとの背景、風景とか景色とかも脳内でビジュアル化されているっぽい。これもアニメ調だったり実写映画っぽかったり・・・。混在しているようだが自然に繋がっている感じ・・。ただ、こちらはキャラクターと違って、作家がシーンの描写がイマイチであったり簡潔ではなかったり(描写がまどろっこしいばかりで何を見せたいのか文章的に理解しづらい)するとなかなかシーンが成立しない」
例えば?
「正常に(?)変換された例でいえば、東野圭吾氏の『白夜行』とかは、冒頭「真夏のゴミゴミした昭和の東大阪の下町」が簡潔な文章で表現されている。脳内ではあっという間にじめじめした空気感を持つ下町を映画的にビジュアル化した。もっとも、その後の刑事達が会話しているシーンでは登場人物達だけはなんだか劇画調のキャラクターに変換されていたが」
映画的背景に劇画キャラの混在か・・・。ハイブリットだな、なんだか・・・。
「全体的にいえば映画のように時間軸が流れていってる感じ、かな?完全にではないけどちゃんとカット割りされてるようだし、画角もちゃんとあるみたいだし・・・」
ふむ・・・。言われてみればなんだかそれが普通な感じがしてきた・・。うん、そんな、気が、する・・?
「で、他の皆さんはどんな感じで読んでるのかなと気になったんだ・・・」
なるほど。確かに。
人によって違うと思うけど、皆さんはどんな風に読んでいるのだろう・・・。
あれじゃないか、知能程度がリスザル並みなので、文章を一度ビジュアルに変換しないと内容を理解できないんじゃないか?
「映像化しないと消化しきれない、うーん・・・。かもねえ・・・。あ、因みに恩田陸氏の『禁じられた楽園』を読んでるときは、登場人物の烏山響一は脳内では“体の大きな城田優”に変換されていました・・・」
何だかはっきりしないまま今回は終わる。皆さん、どんな風に読んでますか?