かつて“日本一”と言われた駅
いらっしゃいませ。
行く河の流れは絶えずして・・・。ヨドガワブレンドも絶えずして・・・。
特に深い意味はありません。気にしないで下さい。
今回はなんだか適当な写真を適当に撮ってきたので、それについて適当に書きたいらしい。
「まず、写真を見てもらいたい」
・・・駅?
「阪神電車の春日野道駅の下りホームから上りホームに向かってシャッターを切った。手前に見える影になっているところが下り、西行きの線路。柱が沢山乗っている中央の分離帯があって、画面奥の明るいところが東行きの上りホーム。ここまでは理解してもらえただろうか」
・・・ふむ。
「理解してもらったところで、今回の主役は線路でも上りホームでもなく、照明が少なく暗くしか写っていない、中央分離帯が主役なんだ」
ほう。
構造物として、柱を支えているもののようだが・・・。
「以前は、この細い中央分離帯が、阪神春日野道駅のホームだったんだ」
へえ・・・。
「今でもよく見ると、この中央分離帯の上面には、点字ブロックが残っているのを目視出来る」
・・・ほう。
「この駅は、ホームの幅が2.6メートルしか無く、そのあまりの細さから『日本一危険な駅』等と言われて、かなりな名物駅だったんだ」
へえ。
wikipediaに記事がありましたので、リンクを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%98%A5%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%81%93%E9%A7%85
「阪神電車がこの地域の地下に線路を通すとき、(元々地上にあった)春日野道駅を廃止するつもりでトンネルを掘っていたらしい。それに地域住民が強く反発。結果的に狭いトンネルスペースに無理矢理駅を作ることになってしまったらしい」
ほう。
「なので、本来は電車同士が行き違いできるだけの狭い狭い場所にホームを作ったために、幅わずか2.6メートルの駅が出来たんだそうだ」
ふうむ。
「単に2.6メートルというならまだ良いが、当時のトンネルの構造上、天井を支える柱はどうしても必要。なので、ただでさえ狭いホームにぶっとい柱がいくつも立っているという、危険きわまりないホームが出来上がってしまった」
邪魔な・・・。
「2.6メートルの幅は、子供二人が手を繋ぐともうホームの幅になるわけで。とりあえず危険なので、柱のない部分には手すりが設けられ、乗客はそれを頼りに目の前を通過していく特急列車に備えた」
ほう・・・。
「当初、特急列車は時速75キロ程度で春日野道駅を通過していた。しかも上下線同時に通過するなど日常茶飯事。幼い記憶にその光景は残っており、かなりなスリルであったことを記憶している。通過時の風もものすごく、手すりにしっかりとつかまっていたように記憶している」
スリリングな駅だったわけだな。
「やがて、通過時の速度も時速45キロ程度に抑えられ、上下線が同時に通過していかないようにダイヤが組まれて、絶叫マシンもかくやと言うスリルはかなり薄まった。それでもそのホームの細さ故に、マニアにはかなり名の知れた駅であった」
へえ・・・。
「その後、阪神淡路大震災の復興住宅が駅近くに作られた関係もあり、乗降客が増加するということで、トンネルが拡張されて、駅も上りホームと下りホームが別々になり、よくある対面型の地下駅になった。で、現在も島式の細いホームであった頃の名残がそのまま残っていて、新しいホームから見ることが出来るという分けなんだ」
なるほどねえ・・・。
「とてつもなく危険な駅であったんだけれども、あまりに危険すぎて利用者のほうもかなり気をつけて利用してたんだろうね。旧いホームではなぜか無事故であったとか」
みんな怖くて手すりから手が離せなかったんだろうな。
「まあ、詳しくはwikipediaを見て頂くということで。あ、因みに阪急電車の春日野道駅もなかなかの細さを誇っておりますよ」
地元民と鉄チャン以外はあまり感慨とか湧かない記事であったな。最後はwikipedia任せであるし。
今回はこの辺りで終わる。