Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

読書感想文 『銀河鉄道の夜』 宮澤賢治 を読んだ

 いらっしゃいませ。


 『あしたのジョー』とか読むと、水を存分に飲める幸せを痛感しますね。

グッと行きましょう!




 過日彼は、宮澤賢治の小説『銀河鉄道の夜』を読了したらしい。前回に引き続き、また近代の作品であるな。





「今回も“青空文庫”からのダウンロードで、スマートフォンで読みました」





定番の小説であるが、読んだことがなかったのかね。





「子供の頃に読みかけたことがあったんだけど、初っぱなからさっぱり訳が分からず早々に挫折したんだ」






なるほど。
今回はその時のリベンジのようなものだな。感想などを書くということで。






「大人になって多少の忍耐力がついたので、わけわからん文章でも何とか先に読み進もうとすることが出来るようになりました。子供が読んで理解できるとか楽しめるとかってレベルではありませんね。これを児童文学であるとか童話であるとかって言って子供に読ませようとする大人が理解できません」





ふむ。
では、内容とかに一応触れてみるかね。






「なかなかに難しいですね・・・。

 ジョバンニは病弱な母と二人で暮らしている。近くに姉が別で住んでいて、時々顔を出してくれる。父は外国航路の船に乗っているらしく、長らく音信不通になっている。

 ようとして行方の分からない父のことを同級生に揶揄され、学校では肩身の狭い思いをしていた。そんなジョバンニに唯一好意的であったのは、父の友人の息子で、同級生でもあるカンパネルラだけであった。

 銀河の祭りの夜、街へ出たジョバンニは、同級生達にまた父親のことを揶揄され、面白くない気持ちのまま、牧場の後ろの丘の上を歩いていた。
 そこで彼は汽車の音を聞き、一列に並ぶ列車の窓を見た。するとどこかで不思議な声が『銀河ステーション、銀河ステーション』というのを聴いた。

 気がついてみると、彼はごとごとと小さな列車に乗っていた・・・」





ふむ。
幻想的な感じだな。







「今回この小説を読み終わって一番最初に思った感想は、“ああ、文章とかつじつまとか合わなくても小説って成り立つんだ”ということ」





なんだそりゃ。






「文章に説明的な部分が無い。前後の脈略もない。つながりもない。なぜ登場人物達がそんな感情を持つのかさっぱり理解できないところが多い。登場人物達の言動に一貫性がない」





ほう。





「どうやってこれを子供に理解させることが出来るのかさっぱり分からない。児童文庫とかにあっても、子供はこの文章を理解できないのではないかと思う」






・・・なるほど。






「ネタバレ覚悟で書くと、」





おっと、ネタバレ注意だな、例のごとく。






銀河鉄道は、“死”もしくは天国や地獄などの“異界”と現実を繋ぐ列車であるということが連想される。死への旅路についてしまったカンパネルラは片道切符を、カンパネルラを見届けるジョバンニには銀河の果てのどこまでも行ける乗車券をそれぞれに持たせてある。その特別な乗車券は、もちろん現世へも帰還することが出来る」





ふむ。






「この“死”へのプロセスをたどる旅路で、登場人物二人は生と死を連想させる様々な情景を見ることになる。それは、“異界への旅”であるということを認識すればもの悲しく叙情的かも知れないが、理解できなければ全く意味の分からない風景の連続でしかない。これをどうやって子供に理解させるというのだろう?」







なるほど・・。







「脈絡もなく語られるシーンは、どうも脳内で上手くビジュアル化してくれない。どうやら“銀河の土手沿い”を走っているらしいが、その周囲の情景はどうなっているのかが語られておらずなかなかにその画を思い浮かべることが出来なかった」






ふむ。






「星空の中を浮かんでいるのか、草原の中を走っているのか、河原とか土手以外は何もない空間なのか・・・」






ふうむ・・?






「おそらく理詰めで考えるなと言うことなんだろうけど、それにしてもなかなかの難解さであった」






なるほど。

どうかね、この作品はお勧めできる作品かね。







「幻想的な童話というイメージで子供に読ませても理解不能だと思うので、ある程度年齢を経た方が読むにはいいと思います・・・」





なるほどねえ。

少しとりとめない感じではあるが、今回はこのままで終わる。


また何か面白い物があれば紹介していくのだぞ。