Cafe Ligia-exotica / 純喫茶 船虫

よしなしごとを。読書とか映画とか観劇と港の街の話しとか

読書感想文 『犬神博士』 夢野久作 を読んだ

 いらっしゃいませ。


 ・・・最近どうも腑に落ちないのが、“水の宅配”なんですよねえ・・・。

自宅にサーバーをレンタルして、水のボトルを宅配してくるってヤツですよ。アレです。



・・・あの水って、ちゃんとミネラルウォーターなんですかね?それとも浄水しただけの水なんですかね?



・・・なんだか高度濾過した後にもう一度ミネラル分を足した水って事らしいんですけど・・・。それってミネラルウォーターじゃないって事ですよねえ・・。

・・・濾過した、普通の、水?

ミネラルウォーターでなくっても文句でないんですねえ・・・。





 過日彼は、夢野久作氏の小説『犬神博士』を読了したらしい。今回はそれについての感想とかを、ぽにょりぽにょりと書いてみたいそうだ。

どうであったかね。









「今回は読了するのにちょっと手間取りました・・・」





昭和初期の作品らしいな。





「夢野氏の代表作の一つらしい。なんだか夢野文学って“難解”ってイメージがあって、これまで読んだことがなかった」





ふむ。






「『ドグラ・マグラ』がものすごく難解だという噂を聞いていたので、この『犬神博士』もきっと難解に違いないという思いがあり手に取ることはなかった。先日この記事に書き込みをして頂いた“鈴虫”さんがおすすめの本に挙げていてくれたので、読んでみようと思ったんだ」






ほう。
で、難解であったのかね。





「この作品に関しては、決して“難解”というわけではなかった。昭和初期の作品ではあったけれど、文章も平易に書かれていて、現代の人間が読んでも、意外にするっと読める感じの文章であったし」







難解でないのに読むのに手間取ったというのか。






「・・・うーん、物語の中の時間の流れが、後半までなかなかスムーズに進まない感じであったのが大きいと思われるな」






・・・ほう。





「物語がグンと動くのが、本当に終盤になってからなので、それまでは読むスピードもなかなか上がらなかった感じ」






ふむ・・・。

では、例によって内容に触れてみるかね。もちろんネタバレ注意報発令ということで。






「物語は、通称“犬神博士”と呼ばれる奇人、大神二瓶氏に新聞記者がその生い立ちをインタビューするところから始まる。


 明治末期、日清戦争前の北九州、少年二瓶氏は、6,7歳の頃、“チイ”と呼ばれて義理の両親が演奏する三味線と太鼓、それに歌に合わせて踊りを踊り、町の広場などで投げ銭をもらいながらその日の糧を得ていた。おかっぱ頭に白塗り、口には紅を塗り、少女のなりをさせられて、少々わいせつな踊りを観客に見せることで銭を稼いでいた。チイは踊りの才には大変に恵まれていたので、大人達に受けは良かったが、稼ぎの大半は義母が懐に収めていた。

 そもそも育ての両親と言っても、どこかの子供を拐かしてきて子供と偽って、踊り手、すなわち商売道具として育てていたのだ。乞食(失礼)同然で町々をさまよい、時にはあくどい事やばくちに手を染めながらその日その日を生きていく非人(失礼)であった。

 そのチイが、踊りの才を見いだされ、かわいそうな女の子の乞食であると思い込まれて、当時の福岡県知事お気に入りの顔役、大友親分に気に入られる事から物語は始まり、やがて、地元の権力者、やくざもの、右翼達とそれに対抗する県知事率いる官憲達との筑豊炭鉱の利権争いの中へ入り、ついには県知事と地元をどういうわけか和解させ、三井・三菱の独占資本に炭鉱を押さえられるのを守るという破天荒な物語・・・」






・・・ふうむ。







「チイの破天荒な行動に大人達はなぜだか惹かれ、翻弄され、チイの意志とは無関係に勝手にごたごたを起こし、大きな騒ぎに発展していくというのが基本路線」







ふむ。







「物語は、自分の過去を記者に語っていく犬神博士の一人語りがメインとなり進行していく。そもそもこの奇人で乞食同然の生活を送る犬神博士が本当に自分の過去を話しているのか、はたまた創作で話しているのかも分からない感じである。まあ、そのあたりは読者の自由な想像に任せられている範囲であろうと思うが、多分、チイ =(イコール)犬神博士ということで書いていると思われる」






ふむふむ。






「物語の前半から中盤にかけて、チイが大人達に出会い、連鎖的に物語が大きくなっていく様を書いている。大人達の誤解から生じる事件や、はたまたチイ自らが起こしてしまう事件を、少年チイはまるで超能力でもあるかのように軽やかにかわしていく。その過程はなかなかおもしろい。反面、語りというスタイルで物語が進むので、事件などがある度に時間軸が微妙に前後していて、そこで文章を読むテンポがもたついてしまう。個人的にそこで読むのにちょっと手間取ってしまった」






ふむ。






「ポイントは、この今読んでもモダンな作りの作品を夢野氏は昭和の初期にやっていたという事。当時の人はこれを読んで、どんな感想を持ったろうか」






ふむふむ。







「特にこの作品は、九州の地方紙の連載小説として書かれていたものであるそうだ。読み物の少ない当時には、新聞の連載小説も大事な庶民の娯楽であったはずである。決して芸術作品である、芸術作品を読む、そういった層を狙って書いているわけではない。これを読んだ庶民達も、そんなに簡単にこの作品を受け入れられたとは思えないのだが」








ふーむ。







「しかもこの作品には、明確なラストがない。まだ何か一波乱有りそうなところで平然と尻切れトンボで終わっている。個人的にも読んでいて未完の作品なのかと思ってしまったくらい。当時の娯楽作品でこれをやってしまうのはすごい事なんじゃないかと思ってしまう」







ふむ。






「確かに取っつきにくい作品ではあるけれど、今読んでも普通に楽しめる作品。昭和初期にこれを平然と出してしまうって言うのは、ちょっとすごい事だと思うね」







なるほど。

どうかね、この作品はおもしろかったかね。







「なかなかに面白かったですね。回りくどいまどろっこしさがもう少し少なければ、さらに楽しめたと思います」






この作品はおすすめできる作品かね。







「残念ながら万人にお勧めできる作品ではありませんが、夢野作品に興味のある方は、この本は入門書に良いのではないでしょうか」






なるほどねえ・・。

また何か面白い作品を読んだら感想を記事にするのだぞ。


今回はこのあたりで終わる。